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          メール・マガジン

     「FNサービス 問題解決おたすけマン」

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    ★第082号      ’01−03−09★

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     おお、情緒的!

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●<理性的>や<知性的>を

 

そのまま<ツメタイ>に結びつける書き方はよくあります。 ステレオ

タイプというか、安っぽい連想というか、語彙の不足というか、、

 

その裏返し、<情緒的>とか<感情的>な方が<アタタカイ>、または

<人間的>だと言わんばかりの取り上げ方があります。

 

俗な観点から抜け出て啓蒙するのがジャーナリズムだろうに、この国で

それは Impossible dream 。  大衆にウケル題材を、ウケルような形

で提供したがる。  快・不快、好き・嫌い、の情緒的扇動で迎合する。

 

七難八苦四面楚歌みたいな状況にあるこの国で、新聞が第一面に連日の

ごとく載せる題材が<えひめ丸>で良いのか、、、 が続きました。

 

そうするのは、それが国民的関心、と新聞社が信じているからでしょう。

しかしそれはいかにも情緒的関心。 そしてそのための情緒的サービス。

 

 

従って不思議もなく、<えひめ丸>報道は徹頭徹尾<感情>的でした。

いわば海中暴走族が起こした<交通事故>。 「9名死亡」は痛ましい

が、陸上では交通事故死者、年間その千倍。 それは一面には載らない、、

 

被害者が学生、場所がハワイ、相手がアメリカ海軍、、劇的要素が一式

揃ってますからな。 TVは情緒的演出と言うべく、救助された人たち、

遭難者の遺族たち、どれも<悲しみと憤り露わ>のクローズ・アップ。

 

その映像がアチラにも流れ、感情的なアピールと見られるだろうことは

必定。 そしてアチラもまた<感情の動物>だから、いずれ感情的反応

が、、 と思う間もなくネット上、すでに過激な書き込みが見られると

いう。 もちろん個人レベルの仕業、避けようも止めようもありません。

 

が、<公>レベルでは理性的対応が検討され、アチラ風ではあるが着々

実施に移されて来ている。 たとえ遺族は満足しないにしても、、

 

しかしコチラの<公>は、アチラへのアピールも、遺族への説明周知も、

量、質、タイミング、すべての点で不十分、不適切。 そのため、

 

「艦長なぜ謝らない!」や「息子を返せ!」、「米国側が引き揚げられ

ないなら、日本の力だけで、、」など、<私>的情緒的、ほとんど子供

の駄々みたいなアピールが目立つことになってしまいました。  その

 

気持ちは分かります。 が、それでは相手を困らせるだけ、問題解決に

はならないでしょう。 むしろ事態の進展を妨げることになりかねない。

その結果ストレスが増すだけ、のはず、、 ますます表情が険しくなる。

 

*   *

 

「男なら謝れ」はコチラの文化。 結局前艦長は謝りましたが、報道は

「涙を流し、、」を妙に強調しました。  情緒的コチラ文化、かも。

 

その謝罪を受けたのは総領事館に陣取った外務政務次官。 画面の印象

からすると、例の<人の痛みなら平気>的タイプ。  その人が何故か、

「私に」謝罪した、と「私」を強調なさる。 それもコチラの文化、、、

 

これらの画像が次の瞬間アチラへも流され、、 反射の都度増幅され、、

で、レーザーみたい。  容易に減衰しない<不幸のエネルギー>に。

 

コチラの文化で迫っているという意識は遺族に無いだろう、ましてそれ

が誤解や不和のもとになるなど考える余裕は無かったろう。 が、誰も

そのような観点無し、では無用の摩擦を招くことになりかねません。

 

そのために出向いた外務政務次官なら、少しは客観的に振る舞えるかと

思ったが、あの様子では、、ね。 結局、誰も考えていない、としか、、

 

しかし無いのは心の<余裕>だろうか?  むしろ、理性的に考える力

の不足や習慣の欠如、ではあるまいか?  

 

情緒的と言われる我が国民性だが、実は<情緒が豊か>なのではなく、

理性的アプローチが無さ過ぎるが故に、情緒部分が目立つだけ、かも。

 

**********

 

 

 

Cool as a cucumber

 

は時に<油火災に水>、余計カッカさせてしまう。 が、クールな観点

を持たぬオピニオン・リーダーは、もっと危険です。  少なくとも

 

何が問題か、を的確明瞭に指示しないリーダーは有害無益。 ズバリと

示さ(せ?)なかった総理もマスコミも、問題解決型でないことは確実。

 

どころか、総理は問題発生源、マスコミは問題拡大機関。 特に後者は

マッチ・ポンプになりがちです。 だからこそ、前者が的確に<示す>

ことが必要。 なのに、それをしない。 彼には難しい、、のかな?

 

 

難しくなんかありはしない。  Rational Process では基本中の基本。

 

<あるべき姿>と<現実>との<かけ離れ>が<問題>、という定義。

<彼らが生きているべき>なのに、現実<殺されてしまった>のです。

その<かけ離れ>が<問題>である、というのがこの議論の始まり。

 

しかし、この<かけ離れ>は、埋める方法がありません。 生かし戻す

ことも、殺される前にまで時計を巻き戻すことも不可能。 対策無し、、

 

従ってその<現実>は受け容れ、それにおいて何が問題か、どう対処す

べきか、と考えるほかありません。 即ち<適応策>。 たとえば、

 

せめて遺体を返して欲しい、という遺族の希望をどう叶えるか、に移ら

ざるを得ません。 ところがあいにく、肝心の<返されるべき遺体>が

無い。 <ある>べきものが<無い>、このかけ離れを埋めるには、、 

 

で、最も直接的な手段<船体引き揚げ>に遺族はすがり付く。 しかし、

それは可能なのか? 実際的か?  何せ前例皆無の超高難度作業。

 

少なくとも現時点、それを可能とする機材が無い。  これから研究し、

新しく作り出すほか無い。 さらに、たとえ機材が揃っても、実技的な

経験は誰にも無い、、 というないないづくし。 だから手を下しても、

 

成功の確率は<不明>、しかし費用が巨額に達することは<絶対確実>。

それをアメリカ側は「する」と言っている。 が、アチラ風の論理では、

 

「ベストは尽くした。 が、これ以上は不能と判明」は十分許されます。

つまり「やってみたがダメ」もあり得る。 先行き、どうなることやら。

 

遺族の焦り、アチラがダメなら「日本だけでも、、」の希望。 という

ことは「国費ででもやれ、」かな?  うーむ、、 被害者なら何でも

言える、、 でもあるまいが、、 コチラの中にも違和感が、、

 

アチラに全責任、とファロン特使も認めている以上、我が総理への要望

は、コチラのトップとしてアチラ側の努力を促し、その経過を遅滞なく

明示して欲しい、、くらいではあるまいか。

 

総理もまた、そのような実務的方法論で遺族を説得すべきだろうが、、、

報道された限り、理性的対応と言えるものはありませんでした。 まあ、

彼にそれを期待しても、、 ねえ。

 

しかし、幸い引き揚げに成功しても、遺体は回収できるのだろうか?

それはその時になれば分かるさ、で巨大な作業を進めるのは、果たして

理性的だろうか? 

 

もちろん「結局回収できない」はあり得る。 その場合も、それで良い、

となるだろうか?  どういうことになりそうか、考えなくて良いか?

<引き揚げ案>に進むにせよ、そうしたPPA、必要ですね。

 

*   *

 

田口ランディの父上は海の男、その人のお話ですから信じて宜しかろう。

漁船の遭難で、日本漁船の捜索は他国のに比べ、ずっと粘り強いという。

えひめ丸の遭難者に対しても、

 

「海は本当に暗くて、冷たくて、さみしいんだよ、、、あんなところに

いつまでも子供を置き去りにしたくないよ。  海を知っている親なら、

なおさらそう思うに決まっているよ」  そうでしょうな、情緒的には。

 

しかし理性的には、たとえば<費用対効果>での判断が先行するだろう。

それで外国漁船は早めに見切りを付けるのかも。 そうすることにより、

どんな効果を挙げることが必要なのか、挙げられるのか、、、

 

<死生観の違い>も文化の違い、あって当然です。 が、国際間の問題

解決においては<世界の常識>に拠らざるを得ず、遺族の意向は<重み

の大きい WANT >ではあるだろうけれど、叶えられるとは保証しがたい。

 

ところでこの件を MUST、WANT で論じる姿勢、これまで誰にあったかな?

 

*   *   *

 

論理的には、<艦長の謝罪>も<船の引き揚げ>も言うなれば<手段>。

たとえば<遺族の望みに適う>という WANT を満たす<方法>です。

Rational Process では、決定分析DAの<候補案>に相当します。

 

「何かすべきだ」、「して下さい」、は<案>の実行を求める言葉です。

コチラ側は、遺族たちはともかく、客観的であるべきマスコミまでもが

初めからそこへ行ってしまっている。  しかし、

 

<案>は本来、どんな MUST や WANT を満たすか、の観点から発想され、

評価され、選ばれるべきものです。 その肝心な<狙い>を飛ばしたり、

極端に言えば敢えて無視するところが<日本的>、であるようです。

 

たとえそれでもかなり良い判断が出せる、のが我が情緒的直感性民族の

特徴かも知れないし、しかし実は<論じにくい部分>なので、無意識的

に避けてしまっているのかも知れません。  たとえば

 

「遺族の心の慰めになる」という WANT が排除されることは滅多に無い

でしょうが、「彼らの人生から得られたはずの経済的利益が償われる」

という WANT などは、思い浮かんだとしても遺族からは言い出しにくい

ことでしょう。  が、現にアチラでは、

 

見積もられている引き揚げ費用の額がそこまで巨大なら、いっそ揚げず

に、それを遺族への補償に当てる方が、、 という論もあると言います。

コチラでは「カネの問題じゃないぞ!」と叱られるかも知れませんが、、

 

でもその論から、あちらには MUST や WANT での論議があるらしい、と

推測されます。 もしそれが、案は色々あり得る、その中からベストを

選ぼう、の結果なら、やはり Rational ですね。

 

<遺族の会>の訪問を受けるに先立って、森総理がそういう説得の準備

もしていたら良かったのでしょうが、、  するわけ無い、、 か、、

 

総理にとって、この件に関する限り国民はみな<身内>。 親分たる者、

身内ぐらい説得できるのでなくちゃ、ねえ、、  とは思いませんか?

 

結果から逆算すると彼、理性的でも情緒的でもない、、 ロボット?!

 

**********

 

 

 

●あなたはどちら?

 

不測の事態における苦渋の決断、チームのメンバーに<手段>で訴える

方ですか?  それとも、<狙い>から説得を始める方ですか?

 

<手段>で訴えるのは、やや短絡的、多分情緒的。  非 Rational。

 

じゃ、あなたの上司は?  やはり非 Rational! ですか?  的中?

なら、反面教師として活用させて頂くしかありませんな。

 

しかしリーダーとしてのあなたは、まず<狙い>を明らかにする人、で

あって欲しいものです。  そして、それは難しくない。  

 

 

口を開く前に、DAワーク・シート左端の MUST、WANT 欄にいくつか

書き込みましょう。  それを見せればメンバーが、思いがけない項目

を付け足してくれるはずです。  次に、それらをまとめて実現する案、

 

それは<唯一>ではないはずです。  いくつか並んだら、それら相互

の相対評価で決めます。 これで、誰にとっても(比較的に)満足度の

高い案が選ばれること請け合い。  それが<理性的な>決定です。

 

その結論に至る途中、<情緒的な>やり取りもあるでしょう。 どれも

拒む必要はありません。 ただ、忘れてならないのは、

 

<情緒>では決して取りまとめられない、いや、そこでは何とかまとめ

たとしても、後でモメナイ保証は無い、ということ。 それは、決定の

根拠が不明確だから。  MUST、WANT を先にするのはそのためです。

 

*   *

 

えひめ丸に限らず普通の船は、<下方から来る何か>は知りようも無く、

無防備、避けることも出来ない、だから注意もしない、という。  

 

こんな時代ですから、企業経営にも、<知りよう無く、避けられない>

事態が生じ得ます。 が、<だから注意もしない>では許されません。

 

取りあえずPPAで備えましょう。 そして予防も出来ない、準備して

あった応急策も役に立たない、、 となったら、<適応策>あるのみ。

 

その時は Rational に、ベストの選択、して下さい。 <情緒>先行

ではいけませんよ、、 という教訓を今回の事件、授けてくれました。

 

                           ■竹島元一■

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